(1)設立趣旨
東京湾は、昭和30年代から 急速な埋め立て工業化により、我国の経済発展に 大きく貢献しました。その代償として 自然環境を消失し、湾岸市民が親しむ「海辺の街づくり」は 欠落したままに 時が過ぎました。
消費こそ美徳の時代に、自然環境回復を掲げた「街づくり」は 省みられませんでした。しかし、同時代に 欧米では自然環境の保全こそが 次世代への大いなる遺産と 位置づけられ、海辺のあるべき姿を 啓蒙するために 情報が発信され、市民運動が展開されてきました。
地球資源は有限であり、世界の常識が 自然保護に傾いた今こそ、自然保護は もちろんの事、自然回復を考え、市民が親しめる「海辺の街」を 取り戻す時期であると 考えました。
住空間に身近で、余暇利用可能な海辺は、徒歩で、または 自転車で容易に接近でき、住民の健康を促進し エネルギー資源の節約ともなり 、そして かけがえのない海の農園となり、地域住民はもとより わが国の食料自給に貢献できます。このような 健康的でローコストな生活は、資源の有効活用を促し、地球環境の保全と 回復思想を醸成します。
太陽がサンサンと輝き、海風が吹き抜ける海辺に 海鳥や船が行きかう海辺の街は、住民に安らぎの時を与え、明日への活力を生みます。
この様な、理想の「海辺の街づくり」を 市民活動レベルで推進する為に ベイプラン・アソシエイツが生まれました。
(2)設立に至るまでの経緯
(昭和40年代)
- 東京湾埋め立てによる親水性が失われていく事を疑問に思い、理想的な街とはどういう街か調査・研究を開始しました。
- 船橋海洋少年団の設立に参加し、海の操船のプロとして貢献しました。
(昭和50年代)
- 船橋港のシンボルとして帆船「日本丸」の誘致運動を展開しました。
- 東京湾会議が発足しました。
- 「サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフと船橋漁港周辺の街との比較論」シンポジウムを開催しました。
(昭和60年代~)
- 「東京湾観察ガイドブック」全2巻、船橋港を中心とした遊べる街「路地裏絵図」を製作。
- 三番瀬祭りを開催しました。
- 船橋港において「港祭り」を開催しました。
- 行政とともに湾岸地域のあり方を模索し、船橋市に「船橋のウオーターフロントの街づくり」提言書を提出しました。
- 以上の活動に参加したメンバーにより、平成11年7月 NPO法人 ベイプラン・アソシエイツが設立されました。